2024テントツアー後の感想会に出したものに修正加筆しました。
長文ですので、ご興味ある方だけどうぞ。
●芝居ラストのアドリブシーン「ので」が前進したことが一番良かった。稽古中及びツアー当初に比べ、ツアー中盤から後半は、その時々の状況や風景を生きることが、どのチームも随分できるようになったと思うし、うまくいかない時にそこを打開していく力も上がったと思う。アドリブだし、長いツアーでいい時もダメな時もあるとはいっても、受けれが時間と労力をかけて作ってくれる公演であり、お客さんも殆どの人はその時1回しか見ることはできないのだから、100か0かではなく、好調でない時の質を上げることが大切で、ツアー後半は平均点が上がってよかった。
しかし、演出が稽古途中に言っていたことを以下に改めて書いてみると、まだまだだなぁとも思う。
対象はモノでも人でもアクションでも構わないが、それに強い情動を発見すること。
「心を動かす」ことがぜひとも必要。その対象・世界に「身を投げ出していく」こと。
心ないままに「心動かされた役」を演じる空疎を避ける。
いったん「強く心を動かしていく」シーンを充分作れた遊べたと思ったら、その対象を手放すことを躊躇しない。そして、手放したあとの展開を急いではいけない(一辺倒の回避)。
作画タッチを変えること。フォーカスの寄りと引き、緊張と弛緩、聖と俗、ヒューマニストと人でなし、ドキュメンタリーとファンタジー等、自在に行き来することを目指す。
ノウハウが得られたら、次回セッションで実践し定着させること。
事前の打ち合わせを厭わないこと。 鮮度の維持はまた別の課題として考えていく。
私の場合、風景の絵をうまく見ることができれば「心を動かし」てその世界に「身を投げ出す」ことはある程度できるようになった。でも、喜怒哀楽でいうと「おもしろいっ!!」「うれしい!!」「かなしい」 の発動はできるけど「怒り」とか「不機嫌」とかはさっぱり形にできなかったなぁ。初期に、四畳半がゴミの山で超不機嫌みたいなことをりーさんとやっていて、初めはうまくいったけど、結局そのマイナス感情の再現が難しくてやめた。「怒り」「不機嫌」「わがまま」「無責任」「人でなし」「冷たさ」といった瞬間を作れるともっと幅がでるんだろうけれど。まあ全部自分がやれなくてもいいのかもだけど。
「ので」は俳優の「人間」がでる。モノローグだって勿論でるけど、「ので」では無意識に駄々洩れるかんじ(笑)。苦手もでるし。その人の言葉との距離や使い方、得手不得手、他者と付き合う流儀とかが漏れ出す。
自分は、あるいは自分のチームは何が得意なのかをよく考えてそれを活かしていく必要があるし、なぜうまくいかなかったのか、考えた分だけ実になるのがおもしろい。
りーさんとはショートストーリーで絵を作ることができると楽しかったし、誰かを助ける設定や危機の回避が得意なチームだった。反面、微細なところをふたりで考え考え進んでいくのは苦手だったかな。
みほしちゃんとは、二人で困惑したり驚いたりしながら何とか折り合いをつけて進んでいくのがおもしろかった。私は、「言葉」聴覚より、「絵」視覚が重要らしいとも思った。銀杏の木ひとつでも、こねられていくうどんの生地でも、フジツボだらけの岩でも、ゴミ袋いっぱいの蝉の死骸でも、「言葉」でなく「絵」が見えているかどうかが、私が楽しめるかどうかのカギだったと思う。絵がみえない時は「言葉」に心がついていかず、空疎になっていく。何がカギか?というあたりは、けっこう個人差があるんじゃないかな。みほしちゃんと「ので」をやっていると、みほしちゃんは私よりも言葉の解像度が高いなぁと感じる。言葉の細かいあるいは厳密な意味合いに敏感で、何ならその言葉をネタにずーと楽しめるみたいな。それがみほしキャラの困惑の面白さや冴えたつっこみにも繋がっている。反面、世界に振り回されて感情で走るのは好まず(?)観察する傾向が強い。それに比べると私は、言葉にこだわったやり取りに飽きやすい。検討は切り上げて、感情の芽を感じたらそれを掴んで泳ぎだしたい、飛び込みたい傾向。質の違う二人が個人差をすりあわせて、何とか世界をモノにしていくのが「ので」の醍醐味だなぁと思う。とはいうものの、今年のメンバーはわりと皆普通の人達(?)でしかも女子だらけであったから、何とか「ので」がやれたのでは?と疑ってもいる。これが、oldどくんごのおじさんたちだった場合、個性というか、使われる言語やそこからイメージされる世界や得意分野が違い過ぎで、困惑ばかりでさっぱり進まないことも考えられて未知(笑)。
茶番劇・ドタバタ喜劇な時や漫才風な時があっても勿論いいのだけれども、もっとシリアスで、美しかったり哀しかったり怖かったり気味が悪かったりな瞬間を「ので」の中で作ることができたら素敵だなぁと思う。多分、往還の振幅の中で、そこまで行けることこそが、「ので」の目標なのだと思う。
●「影絵」は、絵作り、モノの操作段取り、語りと音、色々複雑で面白かった。最終的に私が外に出て全員でやれたこともよかった。音響的にも、スピーカーから出る音ばかりになってしまったので、打楽器や口琴の生音だけのシーンを挟めて、全体にとってもよかったと思う。
●「ナックル ルーシー」は自分のソロ以上に力を入れて取り組んだ。稽古段階で苦労して試行錯誤を繰り返したので、ツアーに入ってからはまあまあ安定していたし、その上で、ノリの深さや鮮度の発見を重ねられてよかった。二人のシーンはいつだってそうだけど、この人としか作れないシーンだったなぁと思える幸せがある。菊ちゃんの明るい無限なエネルギーと柔らかさが、私の持つ、生きてきた時間の厚さや有限性の孤独みたいなものと混じり合うことで、漫画チックだけど空疎でないシーンが成立したのではないかと思っている。
●私のソロの「記憶」は、勿論一生懸命考えて作り稽古するんだけれども、本番の現場では「特に私を見てほしいと思っていない」というのが肝かもしれない。何かをするつもりとか、見せるつもりとかあまりない。でも、感想では「あのシーンは凄く集中した」と言われることも多く、これはどういう関係になっているのだろう?夜の野外のテントでよい音で好きな曲が流れることの幸せ。声と言葉、今夜居合わせた多くの他者の気配、その日その日の夜の空気と風景。それを全部ひっくるめた今この時の夜の空気を、私もお客さんもそれぞれに感じ、ただ呼吸することが目指されていたのではないかなぁ。自分が何故そのシーンを作ったのか、何を気にして何を探っているのかは、作っている時にはよくわからないことが多い。わからないからこそやっているとも言える。本番を重ね旅を通して、自分の興味や何が核になっているのかを発見していく。濃い木々の空気も、がらんとひらけた暗い夜も、たくさんの人が横切った町も、雨も虫の声もそれぞれに胸を打たれる夜だった。それだけで、充分でもあるが、客席でもまたそれぞれに、あの時の夜の空気に胸を打たれた人がいたとしたら、本当に幸せだなぁと思う。
会計報告のために昔の資料を読み返していたら、2019年にどいのさんがその年の私のソロ「四日市」について、「旅の後半、力を抜こうとする試みによって、五月のこれまでの仕事の中でもある種突出した直截さ、ネイキッドな魅力が立ち上がり、同時に芝居として「大きく」なったと思う」と書いていて、この時の感想会でこれを読んでいるのに、あの時は全くピンときていなかったなあと、今思う。「記憶」を作る時、稽古する時に、「四日市」で苦しんだこととの関連を考えてはいなかったのだけれども、終わってみれば、これは、継続した取り組みであって、演出に見えたものを私が飲み込んで腑に落ちるまでに、もうひと演目、もうひとツアーかかったのだと思う。力を抜くこと、何かをしてやろう見せてやろうとしないことは、なかなかやった気にならないので、腑に落とすまで時間がかかるのかもしれない。どいの演出を新たに発見する気持ちの今年のソロだった。
●メンバーの芝居について
みやちゃんの「夏」は、演出が唯一心配していたソロだったけど、スタートシーンじゃなくしたことと、パクパクロッキーが賑やかしに入ったことで、客席も変に緊張しないし、みやちゃんも伸び伸びして、とてもいいシーンになったと思う。水俣からいい芝居だったけど、旅中も表情がより豊かになり見ていて楽しかった。
ソロの「大きくなる」は自分の得意なことを100%しっかりやりきっていてよかった。私にとって、みやちゃんと時折さんは同じ分類で、二人ともちょっと超人的(?)なところがあるので、心の琴線に触れたりもせず、後味がカラッと爽やかで快楽が残る。本人に資質がないとできないことだし、快楽担当がいい仕事をしてこそ、他の資質の人が別方向に走ることもできるわけで、自分で飽きてしまわずに、いかに課題をもって取り組めるかだろうなぁと思ったり。
「ので」では、感情を、わかりやすい体の動きや繰り返しに変換するのが上手だなぁと思う。リズム感がいいんだろうなぁ。「ので」は、oldどくんごメンバーとよりも、みやちゃんや2Bと一緒に苦労してきた取り組みなので、今年みやちゃんがいて本当によかった。
りーさんは自主稽古はほとほと向いてないけど、やるべきことがハッキリして、ちゃんと腑に落ちると本当に力が発揮されると思った。声もバネもパワーもあるので、一人台詞も「ので」も後半になるほどよかった。特に、帰りの九州に入ってからの「ので」は、りーさんの進化がおもしろかった。「わけるわけない」もシンプルでいいシーンだった。
みほしちゃんは「メロス」もいい芝居だけど、私は「大きな風」が特に好きだった。これまで見たみほしちゃんの芝居の中でダントツに好きだし、多分今後も、私にとってのみほし像の芯になるソロで、不調な時でも「大きな風」に支えられてツアーを乗り切ったところがある。また、一緒にトラック移動する際のとてもいい相方であったことに感謝している。移動の時間は、流れていく風景を見ながら、公演地を振り返り、そこまでのツアー・これからのツアーを考える大事な時間で、一緒に移動するみほしちゃんが、自立的に、ツアーやテントや芝居について考えている人であったのがとてもありがたく、実のある時間だった。
菊ちゃんは初めてだから特に何もかもがおもしろかったけど、ソロの「タツノオトシゴ」を稽古発表から千秋楽まで見ることができて、本当に幸運だった。身体は発表時からすごかったけど、初めの頃は後半のセリフがさっぱり聞こえてこなかった。それがだんだん最後までやり切れるようになって、旅中ますます濃度が上がって、千秋楽に声が潰れて充分にはしゃべれないんだけど、それはもう、当初のセリフが聞こえてこないのとは全く別物で、最後まで心や言葉を含めた身体の躍動感がとぎれない。気迫がせまってくるんだけど、気迫だけじゃない、やり込んできた時間が凝縮されたようないい芝居で感動した。声が厳しいとルーシーとか水とかのほうがダメージになって、動きが激しいシーンは意外にダメージが少ないというのも興味深かった。
「ので」の菊ちゃんみやちゃんのハードボイルド風が本当に絶品だった。最終日も素晴らしかったなぁ。
●「合奏」はこの2曲ができて本当に嬉しかった。中心軸だったバンジョーが抜けて心配したけど、へもさんのギターがバンジョーとはまた違う味わいを加えてくれてありがたかった。冒頭曲は歌詞ができた今期トランペットが2台で幸運だった。ラスト曲は、曲調も含め発案できたことが今期の私のベストjobだった。芝居中声を荒らすので綱渡りだったけれどもかろうじて乗り切った感じ。一緒に歌ってくれたリーさんに感謝している。各地の演奏参加が例年以上に楽しかった。
●今回は時折さんが5公演地にゲスト参加という初めての取り組みとなり、1回だけのゲストとはやはり全然違う、スタート・中間・ラストといただけに、ツアーを通して一緒に取り組んだ感があってとてもうれしかった。間があいてその都度立ち上げ直しになるので、通しての参加より厳しい面もあると思うが、時折さんが稽古する姿が近くにあること、やった分だけ芝居が良くなっていくことは、とても励みになった。しかしまぁ、一緒にツアーできるに越したことはなく、そうなったら、もうちょっと突っ込んだ話もしたいなぁと思えたこともよかった。
●芝居全体については、やっぱりツアーって凄いんだなぁと思った。本当に長い長い稽古期間だったから、そして、病で厳しい状態の演出に下手なものは見せられないという特殊状態でもあったから、各シーンのクオリティーはツアースタートから例年よりも高かったわけで、集団シーン以外は、ツアーでそんなに変わらないだろうと思っていた。でも違うんだなぁ(笑)。稽古を重ねることと本番を重ねることは全然ちがうってこと。そりゃそうか。受入れが作る場の力、お客さんの力、それが繰り返されるツアーの力を改めて感じたツアーだった。そして個々のシーンが深まると、芝居全体の印象がかわる(らしい)。復路は「シーンシーンの重なりが増して全体に濃密になって・・」って頻繁に言われて興味深かった。
そして、何よりも、照明、音響を引き受けてツアーに同行してくれたへもさんに感謝です。機材トラブルも多い中、いつもコツコツ落ち着いて対応していただき、チンプンカンプンの私たちに根気よく教えてくれ、そして、テントツアーをとても楽しんでいたへもさん。本当にありがとうございました。
Tweet
【五月の最新記事】