私も、多分どいのも、冠婚葬祭が苦手でプライベートではめっちゃ内向的なので、今回どいのの死去を皆んなに開けたというのは、結構奇跡的だと思っている。
一番大きく影響したのは、この春石巻受け入れの山田くんが亡くなってお別れに行き、山田くんと娘さんのはるちゃんにゆっくり会えたことだった。本当に大事な人だったので悲しかったけどいい時間だったし、自分の中にしまう助けになったなぁって。
もう一つは新太。亡くなる前、家で一日付き添ってくれて、亡くなった直後ドクターを呼ぶ前に一緒に号泣して、悲しいのは自分だけじゃないことを(あたりまえだけど)ダイレクトに伝えてくれた。その後も私がメソメソしながら処置や葬儀打ち合わせにバタつく中、ご飯を作り、お茶したり話したりお義母さんを完全サポートして、私がどいのさんと皆んなのことを考える余裕をくれた。二日分の肉どうふと金平牛蒡を作って帰って行った新太を、お義母さんがしみじみ「何でもできるようになったんだねぇ」と言っていた。感謝。
そして去年の夏に看取った上場猫のチャック。寒い上場で、ヨレヨレだったチャックを見かねてどいのさんが家に入れて本当に可愛がっていた。私は医療業界が長いから、人の死に何度も立ち会ったけれど、いつだって処置作業のためにいるのだし、別の患者さんも待っている。命の終わりに、できることもなくただ寄り添ったのはチャックが初めてだった。最後まで転びながらトイレに向かい、水を舐め、それも出来なくなってだんだんと、蝋燭の火が小さくなるように最後の呼吸を終えた時、悲しかったけど「看取らせてもらった 一緒に居させてもらった」っていう感謝が湧いて、チャックが益々大事になった。その経験が、在宅で彼を看取るという恐怖を和らげ、私に勇気をくれたと思う。どいのさんは私のために天使を拾ってくれた。ありがと。
皆んなで送ったら悲しみが減るわけではないけれど、多くの人のどいの愛、どくんご愛を感じることは私のこころを温かくするし多分お互いそうだろう。
よかった。ありがとう。
